死の可能性を突きつけられて、一年が経ってた
2024-11-09
(元)主治医から初めて死の可能性を突きつけられてから、一年が経ってた。
忘れもしない11/9、初回治療もその次の治療でも腫瘍は消えず、そう遠くないうちに3割の確率で死亡、そうでなくても一生残る後遺症を負うかもしれない危険な治療を受けなくてはならないと宣告された。
確率。表向きは単純な概念だけど実際はそうでもない。あれこれ考えても、自分にとっては死んだら死んだでそれが全てで、3割だろうが2割だろうが5割だろうがあまり大差ないように思えた。生き延びたところで重大な後遺症がいつまでも続くようでは今の自分にとっては死んでるも同然だし、細かい確率なんてどうでもよかった。
一年経った今、ようやく現実を受け入れられるようになってきた。
当時の私は壊れた品物を買い替えるときでさえ「どうせ死ぬなら意味ないんじゃないの?」みたいなことを考えて躊躇していた。
初夏くらいから、「いつ終わるにしてもなるべく理想的に近い状態が最期であってほしい」とか、「もし自分が死んだとしても、現実での私やインターネットでの”ねくすらい”としての私と関わった人たちがちょっとでも私のことを覚えていて、願わくばその人たちに少しでもいい意味での影響を残せたらな」とか思えるようになった。
そんな中、気づいたら母親とその他親戚の一部が怪しい民間療法にハマっていた。様子を見るにどちらも宗派(?)は違うらしいが、私にとっては同じようなものだった。悪気はないのは分かってるし、本人の年齢のせいもあるだろうからまだ直接怒ったことはないけど、それでも私にはそういった「現代医学の嘘」とかそれと親和性が高いいわゆる「トンデモ」な主張が許せない。奇跡的に民間療法が効いた人や自由診療で治った人が仮にいたとしても、造血機能を破壊するまで強力な治療をしても消えなかった私の病気が、ビタミンや「自然派」食品ごときで抑えられるとはあまりにも馬鹿げている。
自分を不幸に見せようとしているとか思われそうなのであまり表には出してないけど、自分はこれでも最大限に物事をいい方向に進める努力をしてきたつもりだ。
確かに心が折れて死にたくなったり、自分のやってることの意味がわからなくなったことも、他人に迷惑をかけてきたことも数えきれないほどある。けど気合いで受験をこなして偏差値が微妙といえど志望校リストにあった私立大学に合格し、そこに進学して薬の慢性的な副作用によるデバフを受けながらも人間としての生活を一通り最低限やってるのは、単純に運が良かっただけではないと思っている。「医者に騙されている」「実際お前の病気は〇〇で治る、大したことない」なんて妄言を言われて腹が立たない訳がない。
「自分の頭で考えよう」「抗がん剤は毒」とかネットで散見するが、そんなことはとっくの昔に分かっている。SNSの投稿を鵜呑みにした医学がなくても生きていけるような人間がインターネットで拡散している”情報”や、ペテン師がYouTubeに上げてる適当なビデオや妄想癖のある老人が自画自賛のために書いた本か、実際に死にそうだった私を完璧ではないといえここまで回復させてくれた文明を信じるか、文字通り自分の頭で考えてきたことだ。
今のところは、免疫チェックポイント阻害薬という文明の利器のおかげで、病気が落ち着いてる状態が比較的安定して維持されている。けどこれがずっと続くわけでもない。それは毎日のように思い返していることだし、絶対に忘れてはいけないことだと思う。
不安要素も多く一年後の自分がどうなっているかは分からない。けどできるなら、今の私が一年前の自分よりマシであるように、今の自分より一年後の自分がマシであってほしいなって思った。